AIRの世界観と神曲「夏影」の歌詞の意味をストーリーから考察

このブログ記事では泣きゲー系エロゲの名作であるAIRの世界観とヒロイン神尾観鈴のテーマ曲である神曲「夏影」の歌詞の深い意味をストーリーから考察・解説します。

ブログ記事の内容は作品の完全なネタバレになりますので、「ネタバレを読みたくない!」という方はブラウザバックしてください。

エロゲ界を代表する神曲と評価される「夏影」

AIRの「夏影」は主題歌の「鳥の詩」と共にエロゲ界を代表する神曲と評価されています。

終わりかけの夏の匂いが伝わってくるような切なさと哀愁を感じさせる素晴らしい曲ですね。

AIRには代表曲の「夏影」「鳥の詩」の他にも「青空」「Farewell song」など多くの名曲があります。他の曲を聴きたい方は以下のサウンドトラックをご購入ください。


AIR オリジナルサウンドトラック

このエロゲ界を代表する神曲「夏影」の概要は以下の通り。

夏影(なつかげ)とは、『AIR』(Keyが制作した第2作目の恋愛アドベンチャーゲーム)の作中に使われた代表的な楽曲(BGM)の一つである。

正式な曲名は「夏影 -summer lights-」。

■概要
作曲・作詞:麻枝准(Key、正確には同社の折戸伸治も手をかけている)

この曲は作中のヒロイン・神尾観鈴のテーマ曲として作られ、その郷愁感を漂わせる曲調、並びに原作の世界観が存分と引き出されたその完成度の高さから、ゲーム発売から10年近く経った今でも多くのファンを魅了するゲームソング界を代表する曲の一つである。

また、この曲は多数のアレンジ版が存在し、『AIR』の主題歌『鳥の詩』を歌ったLiaによる公式のVocal版の他、同人音楽界隈では茶太、水月陵、萩原雪歩(落合祐里香)といった有名アーティストやピアニストいった幅広い層の音楽アーティストがアレンジバージョンを出している。ちなみにLiaによる夏影のVocal版には「夏影」と「夏影 ~Cornwall summer mix~」の2種類があり、前者は日本の夏を、後者はイギリスのCornwallの夏をイメージして作曲されている。

コード進行が似ている事から、久石譲が作曲した映画「菊次郎の夏」のメインテーマ曲『summer』や、同人ゲーム(サウンドノベル)「ひぐらしのなく頃に」で使われた『you』などと比較されることが多い。

ゲームプレイ後や同作品のアニメ視聴後にこの曲を聴くと自然に涙が流れる者もいるらしい。

ちなみに、英語の副題からも解るように、「夏影」とは「夏の光」という意味。

「夏影」はAIRのシナリオ・ストーリーの作者である麻枝准(まえだじゅん)が作詞・作曲を手掛けていますので、まさに作者が伝えたいAIRの世界観とメッセージの核心を表す曲と言えるでしょう。

以下、AIRの世界観とヒロイン神尾観鈴の正体の核心に迫るネタバレになりますので、ネタバレを読みたくない方はブラウザバックしてください。

AIRのヒロイン神尾観鈴の正体は「セミ人間」

いきなりのネタバレ考察になりますが、AIRのヒロイン神尾観鈴の正体は「セミ人間」です。

この考察を信じられない方の為に、神尾観鈴の真の正体がセミ人間である決定的な証拠をお見せしましょう。

いかがでしょうか?

神尾観鈴の顔と目の大きさの比率・パーツのバランスなどが人間よりもセミに近いことをお分かり頂けたかと思います。

そして神尾観鈴の前世の種族が空を飛ぶことが出来るのも人間ではなくセミだからです。

このAIRという作品が夏という季節を強く想起させるのも、神尾観鈴はセミ人間であり夏の間しか人目に姿を表せないセミと近い種族だからです。(実際にAIRで観鈴はセミと同じで夏を越えることが出来ず死んでいます。)

さらに言えば、神尾観鈴が背中の痛みに苦しんで死ぬのも背中から割れて羽化するセミの生態を象徴しています。

この様な考察からAIRのヒロイン神尾観鈴の正体は「セミ人間」なのです。

AIRと同じく麻枝准がシナリオを書いた前作Kanonではキツネ人間の沢渡真琴がヒロインの一人だったのですから、セミ人間がヒロインというのも十分あり得る話です。

AIRの世界観とメッセージの核心は生命の儚さと美しさ

すみません…

以上の考察は全てが完全に大嘘のネタです。

しかし、ヒロイン神尾観鈴はセミだというのはAIRという物語の核心を考えると遠からずのネタなのです。

AIRの世界観とメッセージの核心は「生命の儚さと美しさ」です。

そして日本人にとってセミは夏の象徴であり生命の儚さを象徴する存在です。

つまりAIRとは「生命の儚さと美しさ」をテーマにセミのひと夏を描いた様な物語なのです。

AIRは単なる感動ポルノではない深い哀しみを描いた名作

世間のエロゲヲタクがAIRを評価する言葉に「泣ける作品」とか「泣きゲー」という言葉があります。

しかし、個人的にはその様な単なる「感動ポルノ」的な文脈でのAIR評価はあまりにも表層的過ぎるものであり、完全な片手落ちだと考えています。

「生命の儚さと美しさ」という本質的なテーマに真摯に向き合ったAIRの物語は、「君の名は。」などの様な感動ポルノの枠にとどまらない深い哀しみを描き切った作品だからです。

「君の名は。」についての論評は以下で書いていますので興味があればお読みください。

もちろんAIRはエロゲというジャンルの商業作品であり、ポルノとしての「抜きゲー」用途の代わりに感動ポルノの「泣きゲー」の用途に使用出来るように計算して作られた作品です。

この様な泣きゲーの構造は以下のWikipediaで詳しく説明されています。

しかし、この様な事実を踏まえつつもAIRには単なる感動ポルノを超える深みと哀愁があるというのは間違いないことです。

それゆえにAIRはリリースから20年後の現在でも2000年代を代表するエロゲの名作として語り継がれ続けているのです。

この様にAIRは本当に素晴らしい名作ですので、絵の気持ち悪さで敬遠している方も是非プレイしてみてください。

以下はエロ要素ありのパソコン版。


AIR ~Standard Edition~

以下はエロ要素なしのPS Vita版です。


AIR – PS Vita

また、「ゲームをプレイするのは面倒」という方にはアニメ版の映像作品があります。エロゲやギャルゲに抵抗のある方はこちらをご購入ください。


AIR コンパクト・コレクション Blu-ray (初回限定生産)

累計30万本以上を売り上げた名作ゲームを京都アニメーションがアニメ化!大ヒット恋愛アドベンチャーゲームをアニメ化した人気ラブロマンスのスタンダードシリーズBOX。法術という不思議な力を使う人形使いは、旅をしながら“翼を持った少女”を探していた。本編12話と特別編2話の全14話を完全収録。

AIR「夏影」の歌詞の意味とメッセージの考察

この様にAIRの本質について一通りの説明をして、ヒロイン神尾観鈴のテーマ曲である「夏影」の歌詞とメッセージの考察に入ります。

「夏影」は哲学・神学的な要素もある非常に壮大で深い歌詞ですが、全てのフレーズにな適当な要素など一切なく、なぜその言葉が使われたのか論理的な意味と根拠があります。

以下は「夏影」の歌詞の意味を考察する上での重要なポイントですので忘れずに考察と解説をお読みください。

  • AIRのヒロイン神尾観鈴の正体は「セミ人間(翼人)」
  • AIRのテーマは「生命の儚さと美しさ」
  • AIRは輪廻転生的な世界観(過去転生も可能な永遠共存的な時間軸)
  • AIR第二部「SUMMER編」は人間文明による神殺しの物語

「夏影」という曲名の意味

歌詞を考察する上でまず外せないのは「夏影」という曲名の意味です。

この答えは「神尾観鈴の正体はセミ人間」という予備知識があれば簡単に分かります。

「夏影」は観鈴のテーマ曲ですので観鈴の視点(セミ視点)で書かれています。

その視点からこの世界はどの様に見えているか?というと考えるとこの様な感じです。


セミたちの夏 (小学館の図鑑NEOの科学絵本)

夏の太陽のまばゆいばかりの光と、それを遮る木の影。

略して「夏影」。

それがセミ人間である観鈴が見た世界の全てです。

ついでに解説すると、AIRのシナリオは第一部「DREAM編」・第二部「SUMMER編」・第三部「AIR編」の三部構成となっていますが、各部の名前とイメージはそれぞれセミの生態に対応しています。

  • 第一部「DREAM編」は暗い地中で生きるセミの幼虫が見ている夢。(第一部の観鈴が世間のことを何も知らないのは空を知らないセミの幼虫だからです)
  • 第二部「SUMMER編」でセミの幼虫は夏になり地中から這い出しもがき苦しみながら木を登り脱皮しましたが、すぐに子供たちに捕まって死んでしまいます。(神奈備命は虫かごに捕らえられたセミの様に幼少時から幽閉されており、つかの間の短い自由から悲劇的な死を迎えます)
  • 第三部「AIR編」でセミは脱皮し空へ羽ばたき子孫を残して儚く死にます。生命の循環がテーマ。(観鈴の場合は子孫を残す代わりにラストシーンで子供に転生します)

「夏影」の歌詞の意味の考察

では細かく「夏影」の歌詞の意味を考察していきましょう。

普通に何となく聞いても美しい情景が目に浮かぶ情緒ある歌詞ですが、AIRのストーリーと照らし合わせて歌詞の意味を考えるとより感慨深いメッセージ性があります。

越えてゆく遥か夏も
渡る川の流れも
いつか変わって いつか忘れて
同じ思い守れずいる

「越えてゆく遥か夏」はこれから通り過ぎて行く夏、そして過ぎ去った遙か遠い夏の情景ですが、第一部「DREAM編」の夏の情景と共に、神尾観鈴がおぼろげに受け継ぐ1,000年前の夏(第二部「SUMMER編」)の記憶を暗示しています。また「夏を越えてゆく」という表現ですがAIRでの観鈴はセミの様に夏を越えることが出来ず死んでしまうのが切ないポイントです。

「渡る川の流れも」は川を渡る人から見た情景ですが、同時に川の流れは人生と時間を意味する暗喩であり、様々な時代で転生を繰り返し多くの人生を渡ってきた観鈴の魂の苦しみを想起させる言葉です。

「いつか変わって いつか忘れて」は人間が住んで開発されたりなどして自然豊かな川の様子が変わり過去は忘れられていくという儚さですが、呪いのために星の夢を見ることが出来なく変わってしまい太古からの生命の記憶を受け継げない観鈴を暗喩しています。

「同じ思い守れずいる」は人の心の移ろい易さを語っていますが、お互いに常に心のどこかで思い合いながらも記憶を失い転生を繰り返してきた観鈴と国崎往人を暗喩しています。

ふたりぶんの青空を
君は手で囲った

ここからの歌詞は第一部「DREAM編」の情景を描きながら、暗示的に第二部「SUMMER編」の物語を表しています。

「ふたりぶんの青空を 君は手で囲った」は、柳也と裏葉の二人を生かすために神奈備命が空で散った姿を暗示しています。

陽の匂いのする草を
僕は手に結んだ

「陽の匂いのする草」という言葉は、太陽は沈んでしまっても太陽に照らされた証は草に残るということで、幸せは壊れてしまっても幸せだった記憶は消えないということの象徴です。

「陽の匂いのする草を 僕は手に結んだ」は、神奈備命とのひと夏の幸せな記憶を忘れない、そして空で苦しみ続ける神奈備命を救うという決意を結んだ柳也の思いを象徴しています。

風を背に今、僕らが走り抜けたよ
あの大空 目指してた

「風を背に今、僕らが走り抜けたよ」は雑兵を猛風で吹き飛ばしながら逃避行をした八百比丘尼・神奈備命・柳也・裏葉の一行を想起させます。

「あの大空 目指してた」は大空の様な自由と幸せを目指し逃避行に挑んだ4人の思いです。

越えてゆく遥か夏も
渡る川の流れも
いつか変わって いつか忘れて
同じ思い守れずいる

ここは最初の歌詞の繰り返しです。

繰り返しにより転生を繰り返してきた観鈴と往人の過去(未来)を象徴しています。

ふたりぶんの青空に
飛行機雲 とばした

ここからの歌詞は第三部「AIR編」の物語に対応します。

ここの「ふたりぶんの青空に」の「ふたり」は観鈴と往人だという解釈と、観鈴と神尾晴子を指すという解釈の両方が成り立ちます。「青空」は希望を意味しています。

「飛行機雲 とばした」は観鈴の幸せのために自ら犠牲になりカラスに転生した往人の願いを象徴しています。

夏空に消え入りそうな一筋の細長い飛行機雲の形状が、人間からはっきりとした自我もないような子カラスに弱体化しながら、奇跡に賭け続ける往人の一縷の望みを象徴しています。

笑ってる子供たちの
手には虫かご あの思い出

子供たちは楽しそうに手に虫かごを持ってセミ捕りなどをしているのですが、この様な平和でのどかな情景からも観鈴は第二部「SUMMER編」での幼少時から幽閉された翼人・神奈備命の美しくも悲しく残酷な記憶を完全に思い出してしまいます。

越えてゆく遥か夢も
流る川の流れを
いつもひとりで いつも歩いた
今は違う途を

「越えてゆく遥か夢」は翼人として受け継ぎ続ける前世の記憶、そして翼人が見ることの出来る星の夢(地球の記憶)を指しています。

「流る川のほとり」は川のほとりの情景ですが、セミもカラスも人間も翼人も含め過去・未来の時代にこの星に生きる様々な生命の一生を想起させる言葉です。

「いつもひとりで いつも歩いた」は1000年もの間転生を繰り返し呪いに苦しみながら死んでいった観鈴の前世での悲しい記憶です。また、神の様な存在である翼人が人間文明(朝廷)に殺され星を見守る役割を果たせなくなってから、神という永遠の存在に天から見守られることなく生きる生命の孤独さ苦しさも意味しています。

「今は違う途を」はその呪いの連鎖、そしてあらゆる生命の孤独な悲しみを現世で断ち切りたいという第三部「AIR編」での観鈴の強い願いです。

遠くなる遥か夏よ
流る川の町で
僕ら遊んだ 僕ら生きてた
今も覚えてる

「越えてゆく遥か夏」ではなく「遠くなる遥か夏」と夏という時が場所の様な概念になっているのは、通り過ぎた時間は消失するのではなく、過去も未来も同時に永遠的に共存する世界観を表しています。

最初の「渡る川の流れも」から「流る川の町で」と微妙に歌詞が変わっているのは、その時々で交錯する時間軸での主観的な視点ではなく、全ての時間軸を俯瞰する絶対的かつ永遠的な視点(神的な視点)で言葉が語られていることを象徴しています。

「流る川の町」が意味するのは、過去も未来も含む様々な時間の流れが交錯するこの星です。

「僕ら遊んだ 僕ら生きてた」は、第一部「DREAM編」と第二部「SUMMER編」での主人公やヒロイン、登場人物達の記憶ですが、また私達全ての人間、そしてあらゆる生命たちの記憶でもあります。

「今も覚えてる」は観鈴が完全に翼人としての記憶を取り戻したことを意味しています。そしてそれは、第一部「DREAM編」、第二部「SUMMER編」で描かれた記憶のみならず、過去も未来も含めたあらゆる時代のあらゆる生命の記憶がこの瞬間に観鈴の心に刻まれたということです。

AIRの世界観は時間の概念が宗教的で難しい

この様にAIRの代表曲「夏影」の歌詞の意味を考察・解説してきましたが、やはりAIRの世界観は独特の永遠共存的な時間軸の概念を理解することが難しいかもしれません。

批評の神様とも呼ばれる批評家・小林秀雄(1902年~1983年)は時間について以下の様な言葉を残しています。

上手に思い出す事は非常に難しい。だが、それが、過去から未来に向かつて飴のように延びた時間といふ蒼ざめた思想(僕にはそれは現代に於ける最大の妄想と思はれるが)から逃れる唯一の本当に有効なやり方のように思へる。

小林秀雄「無常といふ事」


モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

この小林秀雄の言葉はAIRについても言えることで、外側から表面的に見ればただただ病気で苦しんで死んだ観鈴の人生を肯定するには、永遠共存的な時間軸が存在することへの一種の信仰が必要なのです。

AIRは2000年代のキモヲタにとっての宗教だった

しかし、この様に物語を単なる救いのない悲劇とせず肯定するために信仰が伴うがゆえに、AIRというエロゲは単なる感動ポルノの枠を超え、女の子に相手にされない非モテ人生に絶望した2000年代のキモヲタクにとっての宗教・経典となり得たのです。

翼人の翼の力によって観鈴の辛く苦しい人生が肯定され受け入れられるように、キモヲタに生まれてしまったためにただただ気持ち悪がられて死んでいくだけの童貞エロゲヲタの辛く苦しい人生もきっと誰かに見守られて受け入れられると信じたい…

この様な宗教的な願いがAIRが私の様な負け組非リア充エロゲヲタの間でカルト的な人気となった理由です。

今のヲタクは2000年代ほど悲壮感がなくなった

この様に2000年代の日本において、人生に絶望したモテないキモヲタクにとっての心の支えはAIRの様な泣きゲー系エロゲでした。

しかし、「人は恋愛するのが当たり前」「恋愛出来ない男は生きる価値もないゴミ」というような圧力が非常に強かった2000年代頃とは異なり現在の日本は恋愛離れが進み彼女がいないことも当たり前となっているため、今のヲタクは2000年代ほど悲壮感がなくなりました。

恋愛資本主義とその終焉については以下の記事をお読みください。

そしてAIRの様な泣きゲー系エロゲが売れなくなった

そしてこの様に日本では恋愛資本主義が弱まり、モテないヲタクでもかつてほどの悲壮感や孤独感を感じることはなくなりました。

その結果エロゲ界では何が起こったか?

AIRの様な泣きゲー系エロゲが売れなくなりました。

キモヲタ達もかつての様に泣きゲー系エロゲという宗教に縋る必要がなくなった訳です。

動物的にスマホのソシャゲの女性キャラクターのエロ衣装やその同人エロ画像でサクッと抜いて終わり。

そして今のキモヲタにはAIRの様な哲学も宗教も必要なくなりました。

果たしてこれは良いことなのでしょうか…何とも言えない所ですね。

以上「AIRの世界観と神曲「夏影」の歌詞の意味をストーリーから考察」の記事でした。

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