この記事は「東京ガード下酔いどれ人生」の小林さんから考察する下町の人情についての記事です。
フジテレビのドキュメンタリー番組ザ・ノンフィクション「ガード下酔いどれ人生」の動画や感想・簡単な解説については以下の記事をお読みください。
小林さんもまた悲しい人間だという意見
「東京ガード下酔いどれ人生」でアル中無職の通称・ヨタこと鵜浦吉雄さんの兄貴分で、以下の記事によると倒産した小林金型の社長だった小林敬次さん。
そんな小林さんについて以下の番組感想ブログでは「小林さんもまた悲しい人間」という考察をしています。
動画内では、なにかと親子の世話を焼く赤の他人、小林さんも登場します。
一見、吉雄さんの面倒を見てくれるし兄貴分のようにも見える彼ですが、その一方で、なんともいえない違和感のようなものも感じていました。
彼については、動画下のコメントで物凄く納得した物があったので抜粋します。
================
「小林」という男は、世間ではよく見かけるお節介な偽善者だな。実自分の母親をないがしろにしながら、他人の家で保護者づらをしたがる。最底辺に転落したヨシオを己の慰みものにしているにすぎない。
================なんでしょうこの切れ味。
でもそうなんだ、そうなんだよ。これなんだよ!凄く納得してしまった。私が小林さんに感じていた違和感の正体はこれなんですよ。
つまり、彼が親切にしていたのは母子のためではなく、自分のためにやっていたのではないかということです。
人には皆それぞれ自分の人生があります。自分や家族だけでも精一杯なのに、他人に構うことなんてできやしません。そんな余裕があるのはごく一部の人だけです。
小林さんはというと、仕事をして老いた母と同居しながらも、その母をないがしろにしている場面がありました。あれ?自分の地盤は固まってるからこそ、他人の面倒を見る余裕があるわけじゃないの?
彼は心の余剰を他人に分けていたのではなく、自らの避難のために他人の節介をしていたのではないでしょうか。
人間は自分よりダメな奴を見ると安心します。ゲスい話ですが、きっと誰だってそうだし、私もそういう部分はあります。自分より下の人間を慰める…これほど癒されることはありません。
小林さんも、自分よりダメな吉雄さんの面倒を上から見てやることで、自分の心を満たしていたのではないでしょうか。私にはそう見えてしまいました。
自分が買ってきたケーキを吉雄さんにぞんざいに扱われ、その怒りを露にするシーン。なだめようとするトシさんに「ぶん殴るぞ」と暴言も飛び出します。
自分が与えた施しに対し、思い通りの反応が得られない状況に怒り、周りにも当たり散らすさまは、見ていてとても悲しかった。怯えていたトシさんの表情が印象的でした。
吉雄さんの面倒を見ている小林さんもまたどうしようもない駄目人間であり、鵜浦トシさん・吉雄さん親子に共依存しているだけの悲しい人間だというのがこのブログ記事の考察です。
家族の様に喧嘩する小林さんとトシさん・吉雄さんの人情
しかし、この意見とは逆に、私は小林敬次さんと鵜浦トシさん・吉雄さん親子の関係に一種の羨ましさの様なものを感じてしまいました。
血の繋がらない赤の他人である鵜浦トシさん・吉雄さん親子に対して他人行儀にならずに自分を全てさらけだすことが出来る。
そして酒を飲んではまるで本当の家族の様に喧嘩をして「ぶん殴るぞ」などという暴言まで言うことができる小林さん。
そんな血縁もない他人同士に育まれた温かい心の繋がりに対して、悲しいとかいう否定的な感情よりも一種の懐かしさや昭和的な郷愁の様なものを感じてしまうのは私だけでしょうか。
そしてこの昭和的な人情への郷愁こそが、個人主義と自己責任論の下で人と人との関係がさらにドライになり殺伐とした現代において、東京ガード下酔いどれ人生のドキュメンタリーが私達の心を引き付けてしまう理由なのだと私は考えています。
失われつつある昭和時代の東京下町の人情
この「東京ガード下酔いどれ人生」が放送されたのは1999年と2002年。
- 『東京下町ガード下・酔いどれ人生』1999年(フジテレビ「ザ・ノンフィクション」)
- 『東京下町ガード下・酔いどれ人生』(完結編)2002年(フジテレビ「ザ・ノンフィクション」)
現在から約20年前の東京下町に住まう人々のリアルな生活を映したドキュメンタリーでした。
しかし、その後の20年間で東京という街の雰囲気も大きく変わります。
以下のツイートによると、鵜浦トシさん・吉雄さん親子の家は荒川区の西日暮里駅近く¥に所在していたものの現在は取り壊されており、度々映像に登場した京成線ガード下の竹屋食堂も橋脚耐震工事のために退去済。
3)履歴書に出てくる道灌山中学校はH13年に廃校。西日暮里駅近くの校舎は残っている。
4)吉雄さんが酒を買いに行ったセブンイレブン西日暮里六丁目店は健在。
5)トシさんがディレクターのインタビューを受けている、自宅近所の西日暮里6丁目児童遊園も健在。— † 無明神風流 † Sunafukiso (@Sunafukis0) March 2, 2019
小林さんとトシさんと吉雄さんが家族の様に心温かな人情を交わしたあの場所は、もう現在の東京には存在していません。
人々はスマホの世界に没頭するばかりで他人行儀でよそよそしく、砂漠のようにカラカラに乾いたドライな都会となってしまった東京。
昭和の時代にあった下町の人情は完全に失われつつあります。
下町の人情を失った東京は生き地獄となりつつある
そしてこの様にドライで殺伐とした自己責任論と個人主義のためにかつての下町の人情や助け合いの精神を失った現在の東京は、一種の生き地獄となりつつあります。
以下の記事で書いている様に、人情や人と人の助け合いの精神を失い、孤独の中で誰に頼ることも出来ずに死を考える方が、東京には大量に溢れています。
そして経済的にも、地価や家賃の上昇により高収入でなければ人並みの人生を送ることが出来なくなった東京。東京で人並みに結婚して子供を作り生活し続けることの経済的な困難さについては以下の記事で詳しく説明しています。
この様に家賃と生活費が上昇している状況にも関わらず東京のGDPはマイナス成長であり、貧困化とスラム化が急激に進行しています。
ただ単に貧しいだけであればかつての昭和の東京下町も生活は貧しいものでしたが、そこには小林さんトシさん吉雄さんが家族の様に酒を酌み交わしたような人情がありました。
しかし、現在の東京にはその人情もありません。
貧しく、そして人情も失い殺伐としている東京という街。そこに広がっているのはこの世の地獄ではないでしょうか。
「もう東京暮らしの辛さが我慢できない!」という方は地方移住も検討してみてください。
一般的な収入やキャリアの庶民にとっては、東京よりも地方の都市部の方が遙かにコスパが良く暮らしやすいです。地方都市の生活の暮らしやすさやコスパの良さについては以下の記事をお読みください。
以上、「東京ガード下酔いどれ人生の小林さんから考察する下町の人情」の記事でした。